あの女(ひと)の器

セクシュアリティとか、ジェンダーとか

コロッケを買って帰る頃

いつも行くスーパーで顔馴染となったレジ打ちのおばちゃんに「あら?喉どうしたの?」って尋ねられた。
「うん、ちょっと出来物ができちゃって」と苦笑して誤魔化した。
一週間ほど前、喉の手術をしていた。自分の男っぽい声が嫌だったからだ。高い声も出せるけど、テレビのオネエキャラみたいな声になってないかいつも不安だった。

私はどちらかと言うと埋没していたい派のトランスジェンダーだ。出来れば目立ちたくないし、隠れて生きて生きたい、世を忍んで生きて行きたい思っている。
思っているけど、現実にはそうもいかなくて、否応なく目立ってしまうのが私だった。人と何かワンテンポ狂ってる、周囲から浮いてしまう。それが現実の私だった。
例えば、周りは小人のようなじっちゃん、ばっちゃんの地元のスーパーに行くと私の存在は、まるでリリパット国に降り立ったガリバーであり、でかい槍がぶすっと突き刺さった黒き月のリリスであり、ウォールマリアの壁を蹴り飛ばした巨…、とにかく私がただそこにいるだけで否応なく目立つ存在であることは判っていただけると思う。
私はスーパーやコンビニにはすっぴんでジャージといった、ラフというより、女装とか性の多様性とかLGBTとかトランスジェンダーとか、そういったことについて全て放棄した、だらしない格好で行くこともあった。
しかし、自分も客商売の店員をしているから判るけど、大抵の「店員」というのは、相当な風貌と素行でない限り、心に思っても顔には出さないものだ。きっと私がリンローンとチャイムを鳴らして店から出て行った後、あの人たちは私をネタに大笑いしているのだろうと思うと同時に、いやお前なんかどんだけ汚らしい格好をしていても誰も気にやしていない、それは自意識過剰というものだともう一人の自分が自分を嘲笑ったりとか、そんなこんなが自分の日常である。

そんな中、レジのおばちゃんは私を見かけるとちょっと特別気を使ってくれて、例えば食材をバスケットの中に入れたままにしないで、わざわざ袋の中に入れてくれたりとか(それも固い物は下にして、柔らかい壊れやすいものを上にして、それはそれは上手に袋の中に積み上げるのだった。「マイバッグ」を使わない客には、ビニール袋の袋の口を開ける作業ですら店員には手間なのだが)、痛んだ食材を見つけると替えてくれたりとか、何か私に親切なのだった。
おばちゃんにしてみれば、私は、田舎には珍しい、背が高くてちょっと男っぽい風変わりな人…ぐらいに見えているのだろう。
さすがに「男」だとか「オカマ」だとは思っていないようだった。そう言えばおばちゃんもやや身体の大きい人のようには見える。何か身体的な特徴を持つ者同士の奇妙なシンパシーを感じないわけでもないけど、たぶんこれは私の考えすぎだと思う。

「喉に出来物が出来て切ったんだ」と言う私の声はまだ安定していなくて、自分でも驚く程にそれは「蚊の鳴くような声」だった。我が家は森や小川の近くにあって、蚊がよく家の中に飛んで来る。冬になっても暖かい日が続くと奴を見かけるほどだ。それにしても「蚊が鳴く声」というのは私も未だかつて聞いたことがない。つまり「例えば蚊が鳴くほどに小さい声」ということなのだが、本当に蚊がしゃべったらきっとこんな声なのだろうというほど、それは弱々しく、悲しく、切ない、孤独な自分の声だった。

おばちゃんは私の声の様子から察して「まあ、それは大変だったわね。私の孫もちょうど喉が悪くて手術を考えているけど、あれは大変ね。今、先生を選んでいるところよ」と言うのだった。
私は「危ない…」となんとか呟いてそれが精いっぱいだった。
「うん。うん。そうねえ、そうねえ…」とおばちゃんは頷きながら、食材をビニール袋に綺麗に並べていた。

こんな時だった、私が無性にカムアウトしたいと思う時は。そしてなんだか泣きたいような、誰かに抱き付きたいような無残な気持ちになるのだった。

私は元来、隠れて生きて行きたい派だ。出れば目立ちたくないし、世を忍んで生きて行きたい異星人であり、名前のない怪物である。そんな私も人に自分のことを打ち明けてみたい時が時々、稀にあるのだが、そんな時は、LGBT的なアレで、理解して欲しいとか、何か権利を訴えたいとか、そういうわけでは全くなくて、「ただこの人に言いたい」という時なのだった。それはなんて言うか「その人が単に好きだから」という感情に近いものだった。
でも、なんだろ?そういうことを思いつく時って突然訪れるし、まずそれに相応しいシチュエーションでないし。それでカムアウトしたいと思っても、まず「有り得ない」話なのだ。おばちゃんは私が男だと知っても別に驚いたりは…しないと思うけど。いや、この場合、性の多様性的にはそのおばちゃんがあろうことかトランスジェンダーだったというオチもないわけではないけどね(いや、それはない)。
それにカムアウトはやっぱり自分の生きる理念に反する。

スーパーからの帰り道、住宅街を抜ける緩いカーブの坂道を歩きながら思う。
例えば仕事帰りにスーパーでコロッケとかお惣菜を買って家に帰ること。それが私の望んだ生活でありセクシュアリティの世界だった。あるいは、それはスーパーのレジ打ちでもしているような女性になることだった。そういう女性として誰かを好きになりロマンを楽しむことだった。
でも、気付いたら、私は「魔女」になっていた。

おばちゃんが整理整頓して食材を入れてくれたビニール袋が夕日を浴びて揺れていた。私にはそれがとてもかけがえのないものに思えて仕方なかった。